フィリピン人の人種って?割合はどれくらい…フィリピン人種、中華系や日系・ヨーロッパ系など


 

フィリピン人に占めるスペイン系の割合は、

思ったよりも低い。

 

「スペイン系」と自称するが

実は嘘だったりするので注意(笑)。

 

 

現地在住者によるフィリピンの人種の詳細、

 

オンライン収入を得ながら、

フィリピン人と共に現地で気楽な南国生活を送るには?

 

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フィリピン人は日本で身近な外国人だが、

人種の複雑さはあまり知られていない。

 

例えば、フィリピンの人種は

マレー系がほとんどではあるものの、

他に中国系、スペイン系とその混血など多数の民族がいる。

 

 

ちなみに、ファッション業界でよく見る

フィリピンの人種にはスペイン系が多い。

 

この記事で、フィリピン人種のルーツに迫ってみよう。

 

 

 

フィリピンでスペイン系の割合は?中華系や日系は?

 

フィリピンの人種の割合は、

現在95%がマレー系で1.5%が中華系、

他スペイン系とその混血で100以上の民族が存在する。

 

 

インドネシアやボルネオから

マレー人が上陸してその後

ネグリト人は山奥で暮らすようになる。

 

インド、イスラム、

中国の文化を持ちこんだマレー人が

農作や織物を広める。

 

 

1565年にセブ島に、

スペイン人居留地16世紀ごろから

マゼラン率いるスペイン船団がフィリピンを侵略。

 

マクタン島の部族長ラプ王は

キリスト教を持ち込もうとするスペイン人に

立ち向かいイスラム教を守ろうとする。

 

 

マゼランを倒しマゼラン軍は撤退した。

 

しかし、原住民としてフィリピンを守り抜いた

ラブの功績は報われなかった。

 

後ポルトガルとスペインで交わされた平和条約、

サラゴサ条約をもってフィリピンはスペインの植民地となり

スペイン人との混血児がメスティーソが生まれる。

 

 

ただフィリピンから

スペインは遠かったので入植者が少なく、

スペイン系のメスティーソは多くない。

 

 

フィリピンでは

スペインの植民地となったのをきっかけに、

キリスト教がどんどん広まっていく。

 

 

1570年にスペイン人がマニラに到着。

 

フィリピンは資源に乏しかった。

 

スペインが植民地として維持することを

放棄しようと考えていたころ、

中国と日本に布教を広めるための拠点として利用した。

 

スペインガレオンという大型帆船を用いて

マニラとメキシコのアカプルトを結んだ

中国とメキシコ間の貿易を始めた【ガレオン貿易】。

 

その影響で多くの中国人が

フィリピンに流入し。

中国人はフィリピンで商いを広めた。

 

 

その結果、中国の商いは原住民の商いを脅かし

フィリピンに住むスペイン人を含め、

中国人の労働なしでは生活が成り立たないほど成長。

 

その為、中国人にフィリピンを

乗っ取られる脅威にかられ、

スペイン人は中国人の流入を厳しく抑制しはじめた。

 

 

それを阻止しようと、

中国人はフィリピンでの生存を守るために

フィリピン人富豪との結婚を推進した。

 

その間に産まれた子供をメスティーソと呼ぶ。

 

 

中国系メスティーソの殆どが

フィリピンの富豪層に属しており

フィリピンの支配階級を占めている。

 

 

1850年になると、スペインは再び

中国人を受け入れ始めた。

 

中国系のメスティーソの生業を、

新しく移民してきた中国人に奪われるが、農地を買い取り

19世紀後半にはスペイン人とほぼ同じだけの土地を所有していた。

 

 

1898年スペインはアメリカとの戦争に敗れ、

アメリカはスペインからフィリピンを

2000万ドルで譲渡される。

 

 

長く独立を夢みたフィリピンは

またも裏切られる。

 

1900年にフィリピンは

アメリカの植民地となる。

 

 

フィリピン人が英語が話せるのも、

このアメリカの植民地だった事がきっかけだ。

 

 

1942年日本はマニラを占領し、

フィリピンをアメリカから独立させるが

ここでもまた日本に支配されるはめになるフィリピン。

 

なかなか独立が果たせない。

 

 

19世紀末から第二次世界大戦の終結まで

フィリピンに移住した日本人は約3万人。

 

移住した日本人はフィリピン女性と結婚し、

その間に生まれた子供をジャピーノ呼ぶ。

 

 

日系2世は

反日のフィリピン人達から身を隠すように

名前をフィリピン語に変え生き延びる。

 

 

日本が第二次世界大戦に敗北し、

アメリカはフィリピンを奪還し、

1946年にやっとフィリピンは独立を果たす。

 

 

戦後、多くの日本人が命を落としたが、

生き延びた日本人は日本に強制送還された。

 

しかし、残されたジャピーノは

フィリピン人の母と暮らすか

孤児になる子も少なくなかった。

 

 

 

フィリピン人の人種とは?フィリピン人種のルーツや割合

 

フィリピンの人種のルーツはネグリト人。

 

特徴は背が低くて小柄、

縮れた髪、暗い褐色の肌の

狩猟採集の原住民と考えられている。

 

その時、およそ20以上の

民族と言語グループに分かれていた。

 

 

ネグリトとはスペイン語で

小柄で黒い人という意味がある。

 

 

ネグリト人の形成はオーストロイドに属し、

現在のフィリピン人の殆どが

モンゴロイド系なのにたいして随分と違う。

 

それはネグリト人が

約2万5000年前東南アジア大陸から移動し、

フィリピンで現在の形質が作られたと考えられている。

 

 

マレー人の移住により

ネグリト人の生活の基盤である森林が伐採され、

農耕地の開拓でネグリト人は追いやられてしまう。

 

 

現在はっきりとした人数の

把握は出来ていない。

 

非常に少ない割合で、

 

・ルソン

(アイタ、アブルルン、アグタ、イタ、ドゥマガット、アルタ、アッタ)

・パラワン(バタック)

・パナイ(アティ)

・ネグロス(アティ)

・セブ

・ミンダナオ(アタ、ママンワ)

 

などのフィリピンの島々に及んでいる。

 

 

 

まとめ

 

フィリピンは常に

誰かの支配下にある

歴史をとだってきた。

 

 

スペイン、アメリカ、

日本の植民地、そして中国人の流入。

 

 

独立を果たしてもまた、

何らかの形での締め付けが続いている。

 

このような歴史の背景から、

フィリピンは混血率が非常に高い。

 

 

近年では各国に出稼ぎに行く

フィリピン人が多い。

 

アメリカでは現在、アジア系人種では

中国系に次2番目に多いのがフィリピンとのハーフ。

 

これからもフィリピン人との混血は

グローバル化が進むと共に増え続ける。

 

 

自分と同様、下見なしでバコンとフィリピンに移住した辛島。

彼の南国ライフはとても楽しそうだ(笑)。

 

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コメントは2件です

  1. きよ より:

    その国の歴史が現代にも受け継がれているのが、まさに人種なんですね。
    混血という言葉自体あまり聴き慣れないのですが面白いです。

  2. さくら より:

    フィリピンに混血が多いのは、歴史によるものなんですね。
    100以上の民族が存在するのは驚きです。
    どんどん混血が進むと、自分のルーツはどの民族なのかわからなくなりそうですね。

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